取り返しのつかない人生なんてない

私は主に教育分野の心理職をしてきました。

スクールカウンセラーとか、教育相談センターの職員とかですね。

 

なので、接してきたのは主に高校生くらいまでの人たちなのですが、

今振り返って考えると、高校生くらいまでって、

将来にものすごく不安になったりするけど、

まだまだ知らないことが多いからこそ不安になるわけで、

もう少し時間が進んで、自分でいろいろとできるようになると、

そこから「あ、社会ってこんなもんなんだ」と、

少しイメージがディスカウントされて、

随分楽になったりしますよね。

 

なので、がそういう不安はまぁ徐々に払拭されていくのでいいですが、

人に対する恐怖とか不信感みたいなもの根強くなってしまうと、

社会参加自体に大きな支障が出てしまうので、

一番ケアしなきゃいけないのはその部分かな、と思って、

子どもたちとは関わってきました。

 

さっきテレビ番組を見ていて、過去にいじめを受けたという人が、

今の職場に来て「ようやく人権を与えられた」と言っていましたけれども、

学校や、もしくは家庭でさえ、その人の根本的な人権が守られていない事態は、

今ままでたくさん出会ってきました。

 

昔はひとつひとつに怒りが沸いて、そういう人権を踏みにじる人たちを

なんとか根絶やしにできないだろうか…!とか考えていたのですが、

考えていけばいくほど、そんなことはできるはずもなく。。

 

でも、考えてみれば、不慮の事故のように、

まったく思わない角度から不幸が降り注いで来ることは

どんな人にも、いつ何時でも起こりうることなので、

それはある意味、受け入れるしかないのでしょうね。

もちろん、「いじめはあってよい」とか言うわけではありませんが。。

(最近教育関係の雑誌の特集に「いじめはなくならない」みたいな

   記事?特集?みたいなのがあって、度肝を抜かされました。

   そうであったとしても、それを言葉として言っちゃあ終いだよ、

   ということってありますよね)

 

東日本大震災のトラウマケアの現場では、

さかんに『ポスト・トラウマティック・グロース」(心的外傷後成長)という

言葉を聞きましたが、

「不幸はなくならない、しかしそこから学ぼう、成長しよう」みたいな

感覚が現代のトレンド的な考えのようですね。

ストレスの研究なんかもそんなことを言ってますね。『レジリエンス』とか。

 

もちろん、理屈としてはそれできっと合ってるのでしょうけれども、

カウンセリングやサイコセラピーの場面で、

レジリエンスが大事ですよ、成長しましょう」とか言って、

「はい、そうですね。がんばります!」とかならないわけで。。

 

不幸の渦中にいる人間が、そこから脱するには、

正しい考え方だけじゃなくて、他にいろんなことが必要になる。

 

他にいろんなことが必要になる、とぼかしたけど、

開けてみれば、結局は「人との肯定的で、情緒的なつながり」というところに

集約されてしまうような気もするけど、

でも、それを得るまでにはものすごい労力と道のりが必要なわけで。。。

 

そのものすごい労力と道のりがわかってるからこそ、

ふと「この作業、いつまでやるんだろ…」という思いが

頭をかすめる時があるわけです。

まぁそんなこと言ったらどんな仕事も変わらんすけどね。

 

あんまりグーッとフォーカスしちゃうと、

気になってなかったシミもなんか目立つように感じちゃうから、

そういうところから視点をズラすような習慣を持ち込めば、

グーッとフォーカスする習慣も徐々に薄れていくはず。

 

文章を書いていて、自分の思考過程って、どんどんカウンセリングの

論理展開にアジャストしていってるな、と切実に感じるようになって、

それはなんか“職業病”みたいな感じであまり好きじゃないんです。

「そんな簡単に悩み消えるんじゃねー」みたいな感覚って

他の人にもあるんですかね?悩んで苦しんでいたいわけではないけど、

悩んで苦しんでるフェーズにある程度とどまらないと、

その次に起こる認識の転換みたいなのが手に入らなくなっちゃうから、

それが嫌ということなのだろうか。うーむ。

 

何にせよ、久しぶりにこうして文章を書いてみると、

なんだか頭のなかが最適化されていくようないかないような

微妙ないい感じなので、今日はこんなところで終わろ。

どこへ向かうか

臨床心理士という資格を得て、

仕事をすること10年。

 

始めは、自分のやりたい仕事ができる、

勉強したいことができる、という気持ちで、

毎日忙しくても、やりがいと充実感、達成感があった。

 

しかし、10年経つと、「いったいこの道はどこまで続くのか」と、

10年かけてきた道から、無意識的にこの先何十年の道を想像して、

途方にくれてしまう。

 

もちろん、まだまだ学ぶことはあるし、日々人の心や人生という

抜き差しならないものを扱うわけだけど、

なんていうか、少し、推進力がなくなってきている感じなのです。

 

なので。

新しいことをして気分を変えてみようと思い、

作って放置していたアカウントを使い、

なんとなく思っていることを書き留めていこうと思います。

 

そうそう、人のブログは結構読むのですが、

最後に締めの決まり文句みたいなのを使っている人いますよね。

あーいうのいいな、と思うんですけど、

全然思いつかないので、そのうち思いついて使いたいな。